この世界の片隅でーフルートベール駅でー

こんなことが世界で起こっているのか・・・日頃、満員電車に揺られ通勤しているだけで不平不満を垂らす平和ボケした私たちに、大きな衝撃を与えてしまうのが今作「フルートベール駅」だ。

今作は冒頭衝撃的な映像で始まる。無抵抗な黒人が白人警官に取り押さえられ、野次馬が騒がしく非難轟々の中、射殺される姿。これは実話を基にしているもので、私たち観客はこの無情な結末を把握した上で、物語に進んでいくのだ。そして、私たちは疑問に思う。一体何をしたら、殺されなければならなかったのか、一体全体どんな悪巧みを働いたのか。しかし、この疑問を持つこと自体間違っていたことにすぐに私たちは気づくのだ。彼は魚の焼き方を知らないお客さんに選び方から教えてあげる優しき一人の青年であり、愛する娘と一緒に家までかけっこして一喜一憂する一人のグレートファザーなのだ。彼は私らと何の変わりもないということを90分間一つ一つ説明していくように証明していく。

 

監督はライアンクーグラー。1986年カリフォルニア生まれ、「グリード」「ブラックパンサー」など商業的・批評的にも大きな支持を得ている新人気鋭の映画監督だ。

黒人問題に赤裸々な手法でありのままを伝えてくる。

今作まさに夢かと思わざるをえないことをまざまざと見せつけられる。スクリーンから憎々しく訴えかけてくる。

オスカーグラントは羽交い締めにされた時、何を思っていたのだろうか。

それは特別な感情ではなく、私たちと同じように疑問・憎しみを感じていたことだろう。私たちはこの悲しみを風化させることなく語り継がないといけないだろう。

他人を許容するためには・・・ースリービルボードー

今週末公開、スリービルボードを早速観た。

簡潔に言うと、しっかりとした脚本構成かつ現代の情報を取り込んでいる良作であるだという印象を抱いた。

 

舞台はミズーリ州の架空の街エビング。

この州はファーガソン事件(白人警察が黒人を銃殺するも不起訴だった事件)が発生した哀しき中西部でもあり、非常に人種差別が色濃く残っているのだ。

また、小人もキーパーソンとして登場し、多様性のある現代社会の縮図を示しているのだろう。

 

そんな環境下で、一つ大きなテーマとなってくるのはそう、”許容”である。

 

スリービルボードはそのままの意味では看板という意味だが、三人のキャラクターを相対的に映し出すメタファーとなっている。

娘をレイプ殺人した犯人を見つけたいミルドレッド。

警察の名誉毀損である広告を出すのが許せないディクソン。

どちらにも理解を示す、ウィロビー。

この三人が衝突しあいつながりを持っていく様子がスリリングだった。

 

さて、どのように相手に寛容にしていくか。

 

答えはこの作品には明確には描かれていない。

しかし、まさか窓から突き落とした相手に介護されたり、

全焼した広告看板の立て直しを小人に手伝ってもらったり、

人の優しさに触れた時、もう一度自分とは何か見つめ直す機会を与えてくれるのかもしれない。

いくらマクロ的に世界を見ようが、一人一人人間なのだ。

頑固な性格や思想はそう簡単には変えられない。

変えられないけれど、相手との差を見いだして、許し、生きていくのが人間だ。

 

今作はゴールデングローブ賞総なめということも納得の現代的な情報量、メタファーが詰まった作品である。

人目に触れることも多くなるかな。

ぜひ、隣に住んでいる人・働いている人・通勤している人との差を認めてあげて、どう生きていくのか考えていただきたい。